沈潜
沈んでゆく。
胸がつまる。
手指が痺れる。
喉がこわばる。
私は、揺られている。
水泡が背をなぞる。
くすぐられるもどかしさに気が抜ける。
一つ大きな息を吐く。
肺の収縮を感じる。
私は、揺られている。
きっと、滑稽なんだ。
なにもぜんぶ、おかしいんだ。
でもそれを笑えずに、笑えないままに、大事なことまで、台無しにするばかり。
それしかできない人間。
どうしようもない人間。
ああ、息が吸えない。
息ができない。
私は、揺られている。
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いまになって、案外平気な気がするのはどうしてだろう。
水は刻々と冷たさを増し、光はくぐもって暗ったくなるというのに。
所詮、些末なことを、珍しくもないようなことを、ていねいに大事そうに、つぶしてこすって、こどもが取り敢えず泣くみたく、仰々しくわめいてうなって、狡猾にも、聞く方見る方の罪悪感を、ないし「弱者を見捨てたら人非人と謗られる」という社会的なプレッシャーを、煽って、誘って、つついて、ゆすって、そうやって利用して、楽をしようと、特別扱いを受けようとしていただけではなかったか。
しかしその佞悪をぜんぶ認めながら過ごすのはあまりにつらいから、正当化するべく、偽物の苦しみを作り出して、胸に貼りつけているに過ぎないのではなかったか。
そんな出来合いだから、圧着があまく、今みたく剥がれかけたりして、なんだか平気に感じる瞬間が存在しているのではないか。
それならば、水を蹴らないのは、怠慢である。
水面に上がらないのは、不義である。
私は、できないのとやらないのと、どちらなのか。
その時々の結果は同じとしても、両者の間には極めて大きな懸隔がある。
それはやむにやまれぬ事なのか、独善的な逃避行なのか。
いけないと知りつつ、問いをやめることができない。
私は、庇護に値する無垢な弱者なのか。
それとも、奸計を弄し人々を謀る、怠惰な罪人なのか。
もう、なにもわからない。
なにも、なにもーーーーーー。
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凍りつかんばかりの水の中で、着実に私の身体は固まりつつあるのに、冷えた臓器の形が分かるほどだというのに、今の今になってもなお、このような猜疑に苛まれる悲しさよ。
衷心から自分を憐れむことさえ、叶わないのか。
もう、なにも頑張りたくないことは確かだというのに。
苦しみたくないことは本当だというのに。
かえって判断の労を強いられ、それによって苦しんでいるではないか!!
こんな理不尽があってたまるか。
くるしい、くるしい。
私は、自分を憐れむべきか、憎むべきか。
ああ、もう浮かび上がることなど考えさせないでくれ!!
憐れませてくれ!!
憎むべきは、自分ではなく世であると、信じさせてくれ!!
悪人になりたくない!!