私は疾うより、己への嫌悪も、阿諛も、怠惰も、全てそれと装った愛憐にすぎないことを、知っていた。
あの時分殴りたおした男も、あの時分抱いた女も、詰まるところ自己愛故であり、別に忿怒に駆られた訳でもなければ、愛情の熱に焼かれた訳でもない。
ただ、宵の悔悟の肴にするがためだ。
そして、極まって、小鳥の戯れに目覚めると、確かに、唇に感触が残っているのだ。
重く、のしかかるような柔らかさ。
ああ、私は恋ができないであろう。
暴力的なまでの、圧倒的な恋。その肌に触れたならば、私の自己愛、もとい、自己拘束は、小康を得るというのに。
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