遊歩百景

書き物をします。

姉、ないし兄へ

 私は弟との二人兄弟であるが、実は両親は私の前に一人、死産を経験している。このことはずっと昔に、父親に聞かされたことだ。母親とは、その話をしたことはないように思う。

 例によって、その時分私は何かしらの理由で父から説教をくらっていた。理由は覚えていないが、さしずめ今日も学校に行かなかったとか、なにかそんなことであったと推測される。そのような発端から、いかにして死産の告白に至ったかなどは、なおさら記憶にない訳だが、「言うか迷ったのだが」という前置きがあったことはいやによく覚えている。

 生まれなかった兄姉の分まで、しっかりと襟を正して生きなければならないと、そのようなことを考えさせたかったのだろうか。その目的は当時も今も判然と分からないが、もし私の推量が正解とすれば、幼心に受けた印象と同様に、ナンセンスであると断じざるを得ない。なにせ相手は私である。

========================

 姉、ないし兄よ。私はあなたが羨ましくてなりません。何故、生まれなかったのですか。聡明にも、この世に生まれるだけの価値がないことを察知し、おやめになったのですか。

 とすれば、私はその賢さが羨ましい。おなじ親を持ちながら、愚かな私とちがい、最も大切な判断を、誤らずに立派に下したとは!私は、同時にあなたを誇りに思います。賢明なあなたを、嬉しく思います。


 あなたの愚弟は、ご覧のように、苦しんでおります。ほんの少しでもあなたの慎重を分有できていたならばと、思わない日はありません。

 私は、そう、苦しいのです。生まれてきて良かったと、衷心からそう感じたことなど、いまだ絶無であると思います。それは、良いことも、ありますけれど、だからといって、常態的に強いられる苦痛と引き算をしても、なおそのように思えるような、そこまでの稲妻のような歓びには、どうやら無縁のようです。早い話が、割に合わないのです。それを普通と飲み込めるだけの度量も、私には備わっていないのです。きりきり、きりきりと、胸を責め立てる怯懦を、上手にいなせる技術も、体得し損ねたのです。そのうえ、人の愛を集めることも、また能動的に愛することも、できないのです。出来が、悪いのです。向いていないのです。


 それでいながら、私は創作やら名声の幻影にたぶらかされ、いまだに、みじめに、もぞもぞ動いたりしております。なんて、滑稽なのでしょう。報われないであろうことがほとんど明らかに分かっていながら、あれこれ考え、唸って、息切らして、結果として得られるものといえば、疲労や焦燥、恥辱ばかりです。

 それによしんば上手くいったとして、それはそれで今度は失う恐怖やら何やらと、新たな問題に蝕まれるであろうに、また、飛躍するようですが、それによって別に世界が良くなって、誰も傷つかなくて済むようになるわけでもなしに、どうして、頑張るのでしょうか。どうして、生き続けるのでしょうか。私は、やはり、どうも、だめです。あなたと違って、生まれる前から馬鹿なのですから、それは、馬鹿に育ちます。当然の道理です。いくら勉強したって、馬鹿の表し方が豊かになるだけです。


 姉、ないし兄よ。私がこれからあなたのところへいけたとしたら、私を愛してくれますか。こんな愚か者は知らぬと、取り合いませんか。私は、死んでもひとり恥をかくのですか。