遊歩百景

書き物をします。

先送り

 私は、必ず自殺せねばならない。私自身の尊厳や、精神を守るためには、他になんらの手段も存在しないことは、嫌ほど理解している。

 そのはずなのに、私は未だに生きて暮らしている。何故か。畢竟、恐怖である。

 我々は、我々自身を、社会のみならず自然にさえ、人質にとられ、怯えながら生きている。肉体は、被害者のふりをしながら、その実、犯罪の片棒を担い、共謀し、我々の精神に恐怖という形をとって取り立てを行う。食事も、排泄も、学業も、労働も、直接的であれ間接的であれ、およそ生存に必要な行いの全ては、我々の肉体の破壊を守るための、追従に過ぎない。しかし、間断のない脅迫に忍従し続けることは、精神の側に、凄絶な負担を強いる。肉体の破壊に抗するほど、精神の方が傷むのである。

 このことは、どうにもなりようがない。これは社会を構成する人間だけの咎ではないが、その点がどうあれ、やはり、自殺をすること以外に、逃げおおせる手立てが存在しないことは、明らかであろう。壊される前に、自らの精神の意志で、憎き肉体を破壊し、精神を解放するしか、ないのである。

 だが、先述のとおり、私はまんまと肉体に植えられた恐怖にとらわれており、実際、すでに一度試みは失敗している。そのほかにも、強烈な自殺の衝動に駆られた(この表現の滑稽さよ!)回数も計算に入れて良いのなら、私は、一体どれだけ劣等な敗残者であるか表現のしようがない。慚愧に耐えない。ほんとうに自ら死んでいった人たちは、立派だ。私は衷心より、敬意を表する。自らを、自らの手で救ったのだ。それは、英断である。

 私は、いつまで先送りにするのだろうか。これほど必要性を感じていながら、作品がなんだとか、それらしいいいわけを並べたて、穀を潰し、労働に耐え、拝金し、湯に入り、欲情し、莫迦な人や世に憤激し、くだをまき、それでいていざ人と面すればへらへら阿諛に興じ、平身低頭、実に、醜悪な、いやしい、気弱な、小悪党と成り下がっているこの様はなんだ。

 死ね!なんだって、初めてのことは、怖い。知らない料理を喰べるのさえ、最初の一口には抵抗を感ずるものだ。だが、どこかで、えいやと、踏ん切りをつけて、為さねばならない。そうしないと、どうにもならないと、それは、愚劣な生活のなかで、ようやっと、感じ取った数少ない教訓ではないか。早く死ね!非情にも私を傷つけたものどもを唾棄し、私の精神を救え!これ以上汚れるな!死ね!