治療
東京といえどこんなものかと、私はまたうんざりとした。
窮屈ながらも洒脱な吉祥寺の喧騒から、ひとつ、ふたつ程度隔たった場所にある、古ぼけたビルの4階の病院に、私は通っていた。
距離でいえば、華やいだ駅から大して離れてはいないはずだが、そこには、全くと言っていいほどその気配はなかった。
なにもそんなに洒落た場所に行きたいわけではないが、せめて、もう少し、人を迎える準備をした形跡くらいは感じたいものだ。
相変わらず気は進まなかったが、私はやっと愚鈍なエレベーターのボタンを押した。
たまたま、前回の来院以来今日まで、気分が落ちすぎることはなかった。
塞ぐ時間も当然多くはあったが、引きずられる度合いが比較的短くすんだ。
だが、それだけだった。
今日も相変わらず惰眠を貪り、気づけば時間はぎりぎり、やっとの思いで予約時間間際に駆け込んだ形であった。
受付をすませ、待合室の椅子に腰をかけた。
正面のソファには50代前後と思しき女性が、背もたれのヘリに頭を預け、口を開けて眠っている。
受付員の作業をする音にまじり、
診察室のドアからやりとりの声が聞こえている。
くぐもって、会話の内容まではあまり聞き取れない。
そうでないと困るとも思いつつ、ふと、診療中の患者がやけに饒舌なことに気がついた。
漏出する音のうち、ほとんどが女性の声域なのである。
ここの先生は男性だ。
彼の低い声の頻度から推して、相槌程度しか言葉を発していないようだ。
その時分、近くで電車が轟々と走り抜けた。
この病院は線路に近接しており、時折こんな塩梅に騒音がするのである。
驚くべきことに、患者はその音に負けじと、さらに声を張り、かえって、こちらにも内容が判然とするほどになった。
それは、先生への同情を禁じ得ないほどに、つまらないものであった。
浅ましいと思った。
仮にもこんな病院に通院しているのであれば、井戸端会議の如き粉飾や誇張はしたくても出来ないはずである。
ただ、話を聞いて欲しいだけの、人間。
ただ、慰労や憐憫の言葉が欲しいだけの、中年。
私は少し腹が立った。そんな人のために、時間が押しているのである。
もうすでに5分以上経過している。
女の声は、まだ止みそうにない。
と、正面で眠っていた女性がもぞもぞ動いた。
目が覚めたらしい。
私は前回処方された薬を服用すると、呼吸が苦しくなった。
今日、その事を伝えねばならないのである。
大仕事が待っているのである。
私はいつでも、人にがっかりされないよう、つい変に取り繕う癖がある。
早い話が、嘘つきなのだ。
悲しい顔だったり、猜疑の感を出されるのが嫌で仕方がない。
そのため、適当に誤魔化し誤魔化し、話をするのである。
そんな調子であるから、今日その旨を先生に伝えることにも、大変な勇気を要する。
到底、待ち時間に眠りこける余裕など持ち合わせてはいない。
何故、これ程の胆力のある人が、ここにいるのだろうか。
そんな事を考える内に、診察室の患者が出てきた。
声色や語調から推察された通り、ソファの人と同じくらいの年齢の女性である。
間も無く寝起きの患者が呼び出され、部屋に入っていった。
入れ替わりでソファに荷物を置いた女性は、部屋の隅に置かれた紙コップを掴み取り、ポットから給湯し、コーヒーか何か飲み始めた。
実に慣れた、悠然たる手つきであった。
私は、勧められても茶や菓子のもてなしを受け渋る質だ。
やはり強靭な人物である。
再び席に着き、コーヒーをすすり出した時、部屋からはまた声が聞こえてきた。
2人目に入った女性も、朗々と、闊達に演説しているようである。
刻々と時間が過ぎる。電車は何度往来しただろうか。
20分ほど経って、やっと、私の番が来た。
憂鬱である。
こん、こん、こんと、ドアを叩いた。
どうぞと声を聞き、神妙に、入室した。
太った医者が、いやに時間をかけて、パソコンからこちらに視線をうつした。
「その後、どうですか」
短い挨拶が済むと、聞かれた。
なかなか難解な質問である。
私は答えに窮した。何を答えれば良いのだろうか。
どうと聞かれてこうと簡明に答えられるほど、人の生活は単調ではない。
昨日だっていくつも出来事があって、百も千もものを考えていたのである。
況や三週間も間が開いているのだから、これを説明するのは非常な苦労である。
「あまり、気分が落ち過ぎなかったかもしれません」
考えた末、冒頭に書いたようなことを伝えた。
先生は、微笑んだ。間違いではなかったようだ。
「どうですか、薬は」
いよいよ申告せねばならない。
「それが、実は」
顔が曇った。怪訝そうな顔をしたのだ。
人はそれを、あるいは、真剣にものを聴く表情だというかもしれない。
だが、私には怖いのである。
機嫌を損ねた、嫌われたと怯えるのである。
なんとか、吃りながら伝え切った。
「まだ慣れていないからでしょう」
あっさりとした返答であった。
「ちゃんと飲んでいますか?」
「はぁ」
「あとどれくらい残っています?」
「さて….三つくらいでしょうか」
嘘であった。毎日服用せねばならないものだったが、飲むと、副作用か、どうしても気持ちが悪くて、飛び飛びに二、三日飲んで、あとはよしてしまっていたのである。
「そうですか、なら割合飲んでいるのですね」
ご機嫌は取れたらしい。多少安心した。
その後は、単位の取得状況や就寝時間を聞かれ、それで終わった。
ありがとうございましたと、いやに慇懃に繰り返し待合室に戻った。
時計をみると、ようよう10分経ったくらいであった。
先ほどまでいた患者たちは、もう、いなかった。
すぐに会計に呼ばれ、千四百円ほど支払い、ビルを出た。
情けなかった。馬鹿にしていると思った。
下らない、時間と金の無駄である。
いささかも、心が健康になった気がしない。
医者は、「治す」という。
しかし、治るとはどういう事であろうか。
前提として、治すためには、まず疾患や怪我がなければならない。
治すためには、病んだ姿と、病んでいない姿の2つを想定せねばならない。
では、この憂愁は、絶望は、忿懣は、嫉妬は、猜疑は、虚脱は、後天的な病なのであろうか。
明るく溌剌に、悩乱などと無縁で生活する姿が、本来的なものなのだろうか。
私は、その時点でつまづいているのである。
風邪のように単純には、考えられないのである。
それでも、やはり辛いのだ。世の中と私は時計も、感覚も、ズレている。
まるで合わないのである。
具体的に明記することはしないが、この頃それによってある問題が頻発した。
個人的なレベルで済んだからいいが、これがいつ、公然と発露するか分からない。
そうなれば、おしまいである。
そこでいよいよ決心して通院を始めた訳だが、まるでだめだ。
ちっとも、助けにならない。
私は医者にとって、一介の、ある病名でもって把握されうる簡単な人間に過ぎず、
その対応にはほんの十分の面接と、あとは投薬、それで充分なのである。
個性などはまるで問題にならない。
その人の思考や感性が、どれほど重層的に組み上がって現出しているのかなど、取るに足りないのである。
何故なら、彼は病気だから。ただの精神疾患だから。薬で解決できるから。
彼は今日、私にどこの学校に通っているのか、聞いた。
それは、前回話したはずである。
学科まで聞かれ、哲学科と答え、講義はどうだとか聞かれ、なんの感興もないところからどうにか返事を捻出し、冷や汗までかいたものだが、それが、カルテにもかかれていなかったのだ。
どうでもいい情報だったのだ。
物の数ではなかったのだ。
どうやら、医者に助けを乞うことにも、才能が必要らしい。
蓋し、私が軽侮の念を抱いたあの患者たちこそ望ましい、模範的な人間であって、その権能を持たぬ私は、懊悩と心中を余儀なくされる、駑馬なのだ。
恥を知れ。救いなど、あるはずがない。
雄弁家でなければならない。
饗応にあずからねばならない。
人前で大口開けて眠れなければならない。
私は、からきし能がない。
惨敗である。敗残者である。
私は、ただ、平穏に過ごしたいだけだ。
それが、こんなにも難しい。
今日も、微睡みの先に幾ばくかの気休めを求めねばならない。
何度、また目が覚めたことを恨んだか知れない。
だが、それは、私には不釣り合いな憎悪である。
H29.11.11